和銅遺跡・聖神社(2019.09)
こんにちは、青沓(あおと)です。
旅日記秩父シリーズ、まだ続きます。
8世紀の日本、朝廷があった畿内地方から遠く離れた山奥の地から和銅(にぎあかね:精錬が不要な自然銅)が発見されます。吉報に喜んだ朝廷は元号を「和銅」に変え、和同開珎を発行します。1300年前当時の露天掘りの現場がまだその姿をかすかに残しています。
当時採掘された和銅をしようしたとされるムカデをご神体とする神社、「聖神社」が近くにあります。
車で来訪する場合は聖神社の駐車場をお借りする形になります。
※聖神社から先は普通車のすれ違いが難しく、ご地元の方も通られるのでお勧めしません。
流造の本殿と拝殿。小規模です。拝殿から向かって右側には宝物殿のような建物がありましたが生憎ご不在で中に入ることはできませんでした。
聖神社からあること十数分。途中からは鬱蒼と茂る里山の雑木林の中を歩きます。
すると突然モニュメントが現れます。
比較対象がなくわかりにくいのですが、4m以上はあります。
このモニュメントから向かって右手に2つの断層面があり、それが当時の露天掘りの跡だとされています。
写真真ん中の白い看板がそれを示しているのですが、、、。
流石1300年の時を経てしまうとお世辞にもはっきりとそれと分かるものではありません。見えないものは仕方がないので、川のせせらぎをBGMに当時を思いはせて想像してみるのもいいかもしれません。
モニュメントの裏を流れる沢は「銅洗堀」という名だそうです。
この先の遊歩道(というよりはハイキングコース)は、露天掘り後を上から観察できるそうなのですが、生憎来訪時は危険のため立ち入り禁止となっていました。
日本の貨幣経済発祥の地といわれる当地。物々交換が当たり前の時代に貨幣が登場した当時のひとは何を思ったでしょう。況やデジタルデータが貨幣価値を持つ現代をや。